History

2000年の創業後、早いもので20年以上経ちました。
ホームページのリニューアルに伴い、開業から現在に至るまでのあゆみについてお伝えしたいと思います。

 

その1 社労士を目指したきっかけ

金融機関の人事課で勤務していた頃、
社会保険労務士の取得支援制度の社内告知・研修受講手続きなどの業務を担当したことが社会保険労務士資格との出会いでした。
人事業務に関係するらしいと知り、上司にチャレンジしたいと申し出たところ、「女子はダメ」と言われてしまいました。当時女性は、結婚までの3年程度で退職する腰掛け就職といわれる時代だったので、企業の選択としては致し方ないです。。
退職し、泣く泣く自費で受講したのですが、結局それが合格につながった気がします。何が幸いするかわからないものです。

その2 資格取得のための勉強に励んでいた頃

社労士の勉強内容が性に合っていたみたいで、勉強自体は全く苦になりませんでした。でも勉強が楽しければ楽しいほど、そしてやればやるほど、今度は不合格が怖くなってきて、合格前最後の半年間は、トイレにもおちおち入っていられないくらい追い込まれた気持ちでした。
勉強していることが一番落ち着くので、資格学校の自習室に、毎朝一番に行き、一番最後に帰宅するほど猛勉強していました。

その3 合格からいきなり開業へ

合格後、最初に立てた目標は、
「社労士資格取得のためにつぎ込んだ費用は、社労士資格を使って取り戻す」でした(なんと小さい目標…苦笑)
そのために、まずは社労士事務所にアルバイトに行ったところ、「人事にいた時やったことがある手続業務がほとんどだし、これなら私はできる」と思いました。もちろん難しいのは手続業務ではなく、その仕事を自分に依頼してもらうこと、すなわち営業です。そんなことも分からないくらい私は若く、無謀でした。で、よく考えることもなく吹田市で「東條社会保険労務士事務所」という名称で開業することになります。当時27歳で、多分大阪では最年少開業だったと思います。(違ってたらごめんなさい)

その4 とにかくいろんな人の話をひたすら聞く

自宅開業だったので、小さな机、パソコン、電話、名刺の4つを用意し、ちょっと書類を出せばあっけないほど簡単に開業できました。でも仕事はなく暇なので、とにかくいろんなところに出かけて行っていろんな話を聞いていました。
特に企業にいた頃に出会った人たちとは全く違う、経営者の話はとても興味深くて、誰のどんな話でも楽しかったです。例えばお店の経営者の方なら、今までは自分がお客様として話す相手が、今度は社労士として自分のお客様(になってくれるかもしれない)として話すと全く違った景色が見え、たとえどんな小さな個人商店であっても、「全く仕事のない私に比べ、ちゃんと売り上げ上げて何年もこれでご飯食べてるなんてこの人すごい!」と思い、経営の工夫や人の雇用についての悩みなどについて話を聞いてました。

その5 天職かもしれない

半年くらいした頃からポツポツと顧問契約をいただきました。さらに開業2年目に人事制度構築の仕事をいただいた縁で、人事制度設計の仕事がそこから毎年続き、とにかく仕事が楽しすぎて、夢中でした。社労士は弁護士などの資格に比べればステータスは低いけれど、業務範囲が広く、いろんなことに挑戦できます。
資格取得時の勉強だけでは実務では全く足りず、背伸びして受注しては猛勉強し、納品し、さらに新たに受注する繰り返しでした。休みたいとも思わず嬉々としてとにかく働きまくり、天職に出会ったと思いました。

その6 人を雇う側になるのは本当に大変

開業3年目くらいから、本当は一人でできないこともない業務量だったのに、パートさんを雇用しました。理由は、社労士は経営者の方と話すことがほとんどなのに、人を雇う側の気持ちがわからないのはダメだと思ったからです。でも人を雇うと固定費が増え、一定以上の売り上げを維持する必要が出てきます。ただ単に天職だと楽しんで仕事をしていられなくなりました。

そして、もれなく私も、人を雇い自分以外の人に仕事をしてもらう難しさに直面しました。自分一人でやる仕事ができることと、組織で仕事を完成し、かつ利益を出して給与を支払っていくことは、全く難易度も仕事の仕組みも異なります。よってゼロから仕事のルールを作り直す必要がありました。ふと中小企業を経営していた亡き父の様子を思い出しました。人好きで人懐っこい性格なのに、ポロっとこぼすことがあったのです。でも、ここを乗り越えなければ、事務所を次のステージに成長させることはできません。
顧問先企業はうちよりも大きな規模のところがほとんどです。こんなハードルをいっぱい乗り越えて大きな規模になったということに改めてリスペクトするとともに、もっと私自身が精進し、私よりももっと多くの社員さんを抱え日々いろんな問題に直面しているお客様に寄り添いたいと思いました。

その6 母になるのは欲張りなのか?

仕事に邁進しているうちに30代半ばに近づいていた私は、自分の人生について考え始めました。もう子供を持つなら決めなきゃいけない年齢です。夫に相談したら、そんなに仕事をしていてさらに子供も欲しいなんて欲張りなんじゃないかと言われてしまいます。それでも仕事以外の世界も見たいと思いました。

仕事の方は少しずつ顧問先も増え、現在の吹田市江坂に事務所を移し、名称も「社会保険労務士法人トウジョウヒューマンリソースマネジメント」として再出発しました。

その6 七転八倒、破れかぶれ(涙)の育児との両立の日々

幸運にも2人の子供に恵まれました。子供が産まれるまでに頭の中で立てていたシミュレーションどおりに行けば、大変ながらも何とか仕事もバリバリこなして、子供もすくすく育つはずでした。がしかし、切迫早産で予定よりも早く入院するわ、仕事も問題山積みで、全く予定通りには行かず、体力も限界で、毎日ボーっとした頭のまま、必死で育児と仕事をすることになります。もう毎日、うまくいかないことだらけで、声を上げて泣きたくなったことも何度もあります。それでも本当に子どもは愛おしく、離れがたくて、子供を持つことができたことは、私にとって人生最大の幸運でした。

その7 それでもこの仕事を続けてこれて良かった

何度ももうやめてしまおうと思いましたが、そんな時には助けてくれる人が現れて、どうにかこの仕事を続けることができました。一番迷惑をかけた夫、こんな母なのに将来お母さんみたいに働きたいと言ってくれる子供たち、育児を支えてくれた母、何よりも事務所を支えてくれたたくさんのスタッフや、お世話になったお客様には感謝しかありません。
そして子供はあっという間に成長し、少しずつ手が離れてきて、徐々に仕事に向き合う時間が増えてきました。子育てで仕事ができないほど手が取られるのはほんの一時期のことで、仕事を辞めなくてよかったと改めて思います。また、子供を持ち、仕事以外の世界に接することができたことが、人の問題を扱う社労士としての幅を広げてくれたと思います。

今 後

「その8」には何を書くことになるんだろう。今やりかけているあれかな?これかな?とそれとも…少し怖い気持ちとワクワクする気持ちがあります。できれば、何とかギリギリ経営を維持しました、ではなく、めちゃくちゃ儲かりました!でもなく、なにか面白いことが書けるようにしたいなあ。。